2015年 01月 09日
谷内六郎と岩崎俊一展 |
「谷内六郎の絵と岩崎俊一のコピーで綴る昭和展」最終日に、池袋西武まで行ってきました。
週刊新潮でおなじみのぬくもりのある絵に、変わりゆく日本のくらしを綴ったコピーをつけたもの。 「一緒に暮らした生きものを食べる。そりゃ、残せません。」
*小さい頃に自宅で飼ってたニワトリが夕食にのってたのを見てから、鶏肉が嫌いになったって言う人いますよね。家の父もそうでした・・・
「いつから日本は、こんなに虫を嫌う国になったのだろう」
会場の片隅に、岩崎さんが亡くなったことが、ひっそりと掲げられてました。
きっとご自分の人生の最期を予期しての展示会だったのでしょうね。
スタッフの方もなんとなくそれを感じてたような。
最終日だったので、人も少なかったです。カレンダー買いました。
「お弁当を広げられる場所が、たくさんある国がいい国だと思う」
「近所で牛や馬の姿を見なくなったが、子どもの行列も見なくなったなあ。」
*私が小さい頃は、新宿の真ん中で馬が歩いてました。
「食べ物を投げていい。あの頃、子どもは、それだけでドキドキした。」
*きっと食べ物が貴重なものだったからでしょうね。
「星空映画館。貧しいけれど、とことん贅沢な時代だったね。」
*夏休みの小学校の校庭での映画会はワクワクしましたね~。
「蚊帳を張るとドキドキした。あれは家の中のキャンプだった。」
*蚊帳と蚊取り線香のにおいが夏休みの思い出と重なります。
「中より外がいい。子どもとは、そういう生き物だった。」
「大きなテレビをひとりで見られる時代は、幸せなのか。」
「たき火ができなくなった時代を今の子どもに申し訳ないと思う。」
*我が家のこどもたちが小さい頃は、東京でもまだたき火ができてたけど・・・
私たちの育ってきた時代を上手にコピーで、物語ってますね。
“昔は良かった・・・という懐古主義ではなく、今の便利の世の中には忘れてきたものがあるのではないか?それを時々思い出したい・・・” というような事を岩崎さんが語ってましたが、その通りだと思います。
古民家をカフェやレストランにしたり、地方で手作りの暮しを始めたり、我が家の次男がやってる映画会など、現代の若者が昭和の時代の文化を新しく感じてそれを生かしてる。
そしてそんな事が、実は人間らしいぬくもりを感じられ、人にも動物にも地球にも優しいことなんだ・・・と感じ始めてる・・・・?としたら、これからの日本も楽しみじゃないですか。
週刊新潮でおなじみのぬくもりのある絵に、変わりゆく日本のくらしを綴ったコピーをつけたもの。
*小さい頃に自宅で飼ってたニワトリが夕食にのってたのを見てから、鶏肉が嫌いになったって言う人いますよね。家の父もそうでした・・・
「いつから日本は、こんなに虫を嫌う国になったのだろう」
会場の片隅に、岩崎さんが亡くなったことが、ひっそりと掲げられてました。
きっとご自分の人生の最期を予期しての展示会だったのでしょうね。
スタッフの方もなんとなくそれを感じてたような。
最終日だったので、人も少なかったです。カレンダー買いました。
「近所で牛や馬の姿を見なくなったが、子どもの行列も見なくなったなあ。」
*私が小さい頃は、新宿の真ん中で馬が歩いてました。
「食べ物を投げていい。あの頃、子どもは、それだけでドキドキした。」
*きっと食べ物が貴重なものだったからでしょうね。
「星空映画館。貧しいけれど、とことん贅沢な時代だったね。」
*夏休みの小学校の校庭での映画会はワクワクしましたね~。
*蚊帳と蚊取り線香のにおいが夏休みの思い出と重なります。
「中より外がいい。子どもとは、そういう生き物だった。」
「大きなテレビをひとりで見られる時代は、幸せなのか。」
「たき火ができなくなった時代を今の子どもに申し訳ないと思う。」
*我が家のこどもたちが小さい頃は、東京でもまだたき火ができてたけど・・・
私たちの育ってきた時代を上手にコピーで、物語ってますね。
“昔は良かった・・・という懐古主義ではなく、今の便利の世の中には忘れてきたものがあるのではないか?それを時々思い出したい・・・” というような事を岩崎さんが語ってましたが、その通りだと思います。
古民家をカフェやレストランにしたり、地方で手作りの暮しを始めたり、我が家の次男がやってる映画会など、現代の若者が昭和の時代の文化を新しく感じてそれを生かしてる。
そしてそんな事が、実は人間らしいぬくもりを感じられ、人にも動物にも地球にも優しいことなんだ・・・と感じ始めてる・・・・?としたら、これからの日本も楽しみじゃないですか。
by madame-tosi
| 2015-01-09 14:19
| ステキな人
|
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